Canon EOS 5D Mark3とエイトビート

へり

2016年09月03日 21:35

 4年使った5D3を手放す事にした。



 このカメラが発売された2012年、自分はパリに居た。初めての海外生活と仕事で精神的に落ちるところまで落ちており、仕事を終えても食事も食べられず、眠る事もできず夜中のパリを酔っぱらいながら徘徊して写真を撮り続けた。

 この当時、自分は円形脱毛症と夢遊病を発症しており寝るのが怖かった。

 AM2時、パリ市内は一斉に街全体が消灯される。仕事を終えてからAM2時まで三脚担いで街をふらふら、気持が休まるのは唯一RawデータをJpegに変換する時だけだった。

 あの頃に撮った写真を見ると思い出して苦しくなる。最近の気軽なキャンプ写真と違って、恐ろしい程の集中力で撮っていたことがよく分かる。



 気持に余裕が無いと、この歳になっても音楽に助けられる事があり、ザ・クロマニヨンズのエイトビートの「ただ生きる、生きてやるぅ」ってサビが当時の心情と合っていて、何度も何度も聞いた。だからいつも5D3のシャッターを押す時は今もあの唄が響く。

 気を抜いたら鬱になる。でも海外で家族を路頭に迷わせる訳にもいかず鬱になる事も許されない。その後、精神状態は土地と言葉の慣れに従い少しずつ回復したが、様々なプレッシャーの中、5D3とエイトビートだけが心の支えだった。

 中々進歩しなかったISOノイズ耐性、しかしこのカメラの発売を機に大きくデジタル一眼レフは変わった。2012年当時としては凄まじいノイズ耐性でそれまで撮れなかったものが撮れるようになった。

 三脚が無くても夜景が撮れるようになった感動を忘れない。真っ暗なノートルダムのバラ窓を撮らせてくれた感動を忘れない。オリオン座の中の星がこんなにも多かった感動を忘れない。




以下 5D3とエイトビートの思い出。



ノートルダムを裏通りから。この場所が好きだった。ノイローゼみたいに何度も何度もここに来た。





ノートルダムの薔薇窓。200mm F2.8 手持ち。ISO 12800 Jpeg撮り。これが12800。ブログ程度の写真なら今でも十分通用する。





ジョルジュ・ポンピドゥ通り。この先にダイアナが事故死したアルマ トンネルがある。




ここのランナバウトを運転するのは難しい。フランスでの運転は無秩序の中の秩序を憶える必要がある。





コンコルド広場クレオパトラの針から凱旋門に続く世界で最も有名な通りシャンゼリゼ。





夕日に照らされるモンマルトルの丘。たまらなく美しかった。そして苦しかった。





なぜその名前が付いたのか歴史は分からない。フランス語で「新しい橋」という意味のポンヌフ。セーヌ川に現存する最古の橋。





手前がポンサンジュ、奥がポンヌフ。一時期セーヌの橋ばっかり撮ってた時期があって、我ながら病み具合が怖い。





Yellow。フランス人の雑な仕事ぶりは町のあちこちで見る事ができる。客が神様なんて考えは無い。空気を読むこともなければ、他人を見て襟元をただすことも無い。この人達をマネージメントしたら自然に髪も抜けていく。





ポンデザール橋。今はもう撤去されてしまった恋人達の誓い。





ブルゴーニュのワイン「ジュブレ・シャンベルタン」の葡萄畑。この写真を撮った2012年8月14日同日、なんと中国人の投資家に買収されてしまった。





ルーブル美術館は毎月第1日曜日が無料開放日。NIKEのロゴのモチーフになったサモトラケのニケ。作者不明、手は保管されているが首は今も見つかっていない。





イエスは貧困を救わない。あちこちの教会で見られる風景。この様な場所を「聖地」と言う。簡単に使えない言葉なのだ。日本人には理解が難しい。





セーヌ川に掛かる37本の橋、自分が最も好きだったビラケム橋。ここも精神障害巡回コースの一つ。1972年の映画「ラストタンゴインパリ」でも全く同じ景色を見ることができる。





モンサンミッシェル。親戚や友人が行きたがるので何度行ったか分からない。これを空に浮かばせて「バルス」で粉々にする発想というのは、やはり天才に他ならない。ラピュタがどれほど凄い映画なのか、ここに来ると分かる。






銀行の窓に写ったオペラのガルニエ。近くに日本人街があるので米と味噌買う為によく通った道。





基本的にタバコ捨て放題。老若男女喫煙を楽しむ。水曜の朝に一斉清掃されて元のキレイなパリに戻る。





この子がなぜ泣いているのかは分からない。頭ごなしに叱りつけるのでは無く、子供の目線に合わせて説得を続ける父。その美貌だけでなく優れた教育を受けるこの子の未来は開けている。このカメラで4年間撮影した数万枚の写真。その中でも好きな写真の一つ。





満足できる写真が一枚も撮れなかったバルセロナ、サグラダファミリア。叶うならもう一度5D4で撮り直しに行きたい。この頃、ユーロショックでスペインの若年層失業率20%以上、すげー治安が悪かった。この公園も凄く怖くて集中出来なかった。





ローマ トレビの泉。何を想いコインを投げるのか、それぞれの人生、それぞれの期待。





何度も行ったフィレンツェ。いつもサンタマリア デルフィオーレのデカさに圧倒される。これ見るとフィレンツェに来たなーって思う。





サンマルコ広場の時計塔に朝一に上ったら、水の都ベネチアの街に時計塔が写った。





オランダ ヒューケンホフ公園のチューリップ。んー花ってどうやって撮るか分からないんだよなー。そもそも花に感動しないし。





ドイツ ノイシュヴァンシュタイン城。ポケモンに出てくるらしく、子供達が名前を知っていた。「ここが、のいしゅばんしゅたいんじょう??」あの頃は息子も可愛かった。今はおっさんとたいして変わらない。





UKストーンヘンジ





ロンドン タワーブリッジ。これも手持ちISO12800。ロビンフッドの必殺技。。。これがキン肉マンの。。。感無量だった。





スイス ツェルマットから見るマッターホルン。定年退職したらこの街に住みたい。働かなければ、金をためなければ、今の自分の強いモチベーションになっている。





エッフェル塔の光をスローシャッターで撮り、逆さにすると富士山になる。パリの富士山。。。あの頃、いつか再び精進湖でキャンプする事を夢見る様に思っていた。





AM1:30、-5℃。誰も居ないピラミッドを撮るには道具よりも技術よりも根性が必要。一人ぼっちのソリッドな夜。この頃からソロの気があったのかも知れない。





いきなりアジア、いきなり台湾だが「千と千尋」のとこ。アジアなのに英語が通じる街。若い世代は英語が堪能、お年寄りは日本語話せる人が多い。日本との歴史を感じさせる国。かつて日本帝国陸軍はこの国を幸せにしたと信じたい。実は台湾大好き。






さようなら5D3、そしてありがとう5D3。




P.S.
明日から海外出張なので、返信遅れます。ご了承下さい。






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